ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

亀山郁夫氏の講演会・文学と音楽、共感力と謙虚であること

昨日はぐっと冷え込んだ北海道。ここ白老町も夜はマイナス4度くらい、気温よりも風の強さが突き刺さる。

朝、家人が「今夜はコミセンで亀山郁夫さんの講演会があるよ」と言ったので、調べてみると、本当に亀山氏が「人生 百年の教養」という講演をされるとある。

なぜ人より鹿が多そうな町で?と訝しく思いながらも自転車で出かけた。

街灯が少ないのと夜道が凍っているので危うく転けそうになりながらも無事にコミセン=コミュニティセンターに到着。
待つことしばし、亀山氏が入ってこられた。
「100分で名著」の印象と同じで、話し方もとても滑らか。冒頭でニコライ・ネフスキーという言語、民族学者に触れ、彼がこの白老町にも来ていたかもしれないと。ソ連に帰国後、スターリンによって粛清された悲劇と多くのアイヌの人々の辛苦が今日のウポポイにオーバーラップされたようだ。
さて、本題、教養とは?外国語習得によってトランスナショナルアイデンティティを持つこと、さらに言えば異文化や他者への「共感力」を持つこと、とはなされ、ご自身が中学生の時に「罪と罰」を読んだ後、自分の手に血の匂いがしみついているような錯覚があったエピソードが披露された。
謙虚であることも教養の一つの表れ。亀山氏はショスタコーヴィチについての著書もあるほどの音楽好きでバッハ、ベートーヴェンを音源付きで紹介し、天才を前にしてこうべを垂れる謙虚さ=教養なのだと。
そこまでは想定内の展開であったが、音楽エピソードの続きに「Wの悲劇」が出され、薬師丸ひろ子の映像が最後に披露された。これはポピュラーとかクラシックとか関係なく音楽は心を過去のある場所に連れている、そして過去は決して自分を傷つけないし不安にもさせないという話の具体例だったかと思うが、少しびっくりさせる展開だった。
74歳のロシア文学者が、その年齢になってたどり着いた境地は、老年とはそう悪くない、いやむしろよいものだ、ただし若い頃から教養を身につけていればね、ということだったかと思う。
フロアの若い人たちがとてもよいまっすぐな質問を投げかけておられた。
白老町のコミセンは時間を大幅に延長して熱く盛り上がったのでした。
 

ポロト湖 11月29日 気温マイナス3度