ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

この2ヶ月、長かった

1月末に大怪我をして手術と入院に至った我が息子。

その後、在宅療養とリハビリを経て、再度の手術も終え、今日、3月27日に職場復帰しました。

この2ヶ月、本人の辛さは想像に余りあるのですが、家族も試練の日々でした。

朝、昼、夕と三度の食事を作り、歩けない本人の前まで運ぶ、いつもやっている家事に一手間増えるだけなのに、これが重くのしかかる。

彼の在宅ワークが始まると、それはそれで自宅がオフィスのような雰囲気に。

2月下旬は勤務校で毎晩のように演奏会審査があったので、バスもない夜遅く、タクシーで帰るともうそのまままともに食事も取らずにベッドに倒れ込んでいました。

要するに一人の病人によって生活のサイクルというか余裕の部分がなくなってカリカリ、キリキリしていました。

ついつい家族に対してキツイ口調になり、私は継母か?と自分で鬼母のようだと自己嫌悪に陥るほどの精神状態に追い込まれてしまいました。

そんな長く厳しい冬が終わると同時に、我が子の職場復帰が実現したのです。

そこで、今度は単身赴任中の家人の元へ。家人とゆっくり話し合わなければならないことが山積しているのですが、ひとまず、リフレッシュのために今日は一人で近くの登別へ出かけました。なにせ今日は雲ひとつない快晴!

電車で10分ほど、海沿いに「あの世への入り口=アフンルパロ」遺跡があるのです。

かつてアイヌ集落があった一帯には神々しい岩山や波間に奇岩が。太平洋の波の音を聴いているとこの間のモヤモヤした思いが解けていくようでした。

 

アフンルパロ

ポロト湖の向こうに樽前山

 

 

 

<音楽史のエッセンス>映像教材13本公開しました

3年間の科研費研究、この3月で終了です。

にわかにスピードアップした映像編集作業、昨日から5本を公開いたしました!

ぜひご覧いただければと思います。ルネサンスからロマン派にかけての鍵盤音楽作品です。(演奏はチェンバロ:京谷政樹さん、ピアノ:水谷友彦さん)

加えて、今朝は野村誠さんの民族音楽体験講座も2本、公開しました。

わずか一年前の撮影なのに、何だかとても懐かしく、あの時の学生はもう3月には卒業か、とため息が。

 

https://www.youtube.com/@user-ul3gv8ny1g

 

大学授業や小中高の学校で、音楽の時間に能動的な体験を増やしたいと考えたことがこの科研共同研究のきっかけでした。

毎年、教育実習校にご挨拶に伺い、授業も見せていただきますが、日常生活で触れている音楽と教室の音楽にすごく距離があるって思われませんか?

そしてまず楽譜ありきという授業に違和感を覚えていました。

そこで、楽譜なしの民族音楽を教室で体験するのはどうかな、と考え始めたのです。

といっても、大学の音楽史といえば西洋音楽史ですね。そこで共同研究者として同僚の能登原由美、三島郁、久保田テツの三氏に加わっていただきました。

企画から出演者との交渉、本番撮影、映像編集と1本(およそ30分)の映像にも多くの協力者の膨大なエネルギーが詰まっています。それでいてできあがった映像はコンパクトでわかりやすく、サウンドロゴ(久保田テツ制作)にもご注目ください!

昨日は能登原さん企画のチェンバロとピアノの映像5本を公開、今朝は私が企画、野村誠さんご出演の民族音楽の映像を公開いたしました。

これまでの能、狂言(清水寛二さんと奥津健太郎さん)、そしてリコーダー(織田優子さん)に続いて13本が公開されています。

 

この映像をもとに自由なアレンジで教室に自由な音楽づくりの輪が広がりますように!!

13本の中の一つですが。

youtu.be

ラヴェルに乾杯、プロデューサーに乾杯!神戸室内管弦楽団

ラヴェルに乾杯!柿塚拓真さんの10年

 

 昨日は神戸文化ホールの「ラヴェルに乾杯!」に出かけました。神戸室内管弦楽団定期演奏会であり、同弦楽団のマネージャー、柿塚拓真さんの神戸における仕事納めとなる公演。

 ラヴェルがタイトルになっている通り、フランスから指揮者、Pierre Bleuseを呼び、ラヴェルのピアノ協奏曲のソリストは地元出身の俊英、三浦謙司です(第二楽章、名演に涙腺崩壊)。

 ところがプログラムにはラヴェルルー・ハリソンラヴェルと並んでいて、なぜ?と戸惑うお客様も多かったと思います。

 ルー・ハリソンではお茶碗や鍋?まで打楽器として登場するのですから。

 実はラヴェルの中にあるオリエンタリズムに呼応するルー・ハリソンの中の民族的要素、そして終曲のアイヴズの交響曲第3番の初演指揮者がルー・ハリソンだったのです。(アイヴズの作品中の賛美歌の引用については開幕前に神戸混声合唱団による賛美歌の演奏まで!)

 一見、バラバラに見えるプログラムが実は巧妙に組み立てられていたのです。

 楽器転換に登壇した柿塚さんが丁寧にその意図を説明されました。

 大曲と意表をつく現代曲の4曲が終わっても、客席はじっと動かず、演奏の余韻がホールに残っていたのも神戸らしいと感じました。大阪だったら拍手の最中にバタバタ出て行くお客様多いですから。

 

 彼とは10年前、2014年の冬に出会い、ちょっとそのことを書いておこうと思います。

 2014年12月、私は勤務校の中で改革の嵐の中にいました。音楽学専攻が消滅し、さて、どうしようと自分の身の振り方に悩んでいました。辞めるべきか残るべきか、その時、一本の電話がかかってきたのです。「日本センチュリー交響楽団の柿塚です。豊中市の新たなプロジェクトにご協力いただけませんか?」というものでした。音大とセンチュリーが協力する、とてもいいじゃないか!と思ったのは世事に疎い私の早合点で、実は音大とセンチュリーはともに豊中市に本拠を置くものの、厳然とした線引きがあり、お互い協力関係など何もなかったのです。

 「世界のしょうない音楽ワークショップ」と名付けられたワークショップに私と音楽学、邦楽の先生方が協力するようになり、年々このワークショップと音楽祭は規模も内容も充実していきました。そのことが、私が大学に残るいくつかの理由の一つになるほど、私はこのワークショップにのめり込んでいきました。作曲家、野村誠さんの才能や「誰をも排除しない音楽解放区」スピリットに魅せられ、自分を必要としてくれる場所があることが素直にうれしかったのです。

 しかし、柿塚さんのご苦労は大変なものでした。豊中市との折衝や各組織の調整など、彼がいなければ成り立たない難事業でした。

 センチュリーを去ることが決まったある土砂降りの日、私たち二人は豊中市役所を訪れました。そこでは事業に対する厳しい意見が述べられ、終わったときは心の中まで土砂降りでした。柿塚さんは私以上に悔しい思いをされたはずですが、そういった一つ一つの経験を糧に、どんどん成長されていったのだと思います。

 昨日のプログラムはご自身のこの10年の集大成とおっしゃっていました。

 彼の今後の10年は九州交響楽団とともにあります。

 東京や大阪から福岡に九響を聴きに出かける、そんな名プロデュースが期待できそうです。

順調です!何が?

知り合いの編集者さんから、「ところで〇〇の方は順調ですか?」と尋ねられ、「順調です!」と答えたものの、全然、順調なんかじゃない。

一番困っているのが右足が動かなくなったこと。もちろん激痛を我慢してゆっくり歩くならなんとか動けるのですが、あまりの痛さに動かなくなり、悪循環に陥っています。

整形外科には一年ほど前に行って、老化によるものと明快な診断を受けているし、それなのに運動も散歩も何の努力しないので悪化の一途をたどることに。

自業自得だ。

順調じゃない二つめが不眠症。3時間くらいで目がさめるので、それからメールの返事を書いたり、執筆したり。朝方に知人からメッセンジャーが届いて「自分も2時半から研究室に来ています」という彼に、うーん、上には上がいるものだ。

一月に骨折した豚児は在宅ワークになり、足が動かせないので、我が家には足が動かない二人が昼間、相手ができないことをカバーしあって暮らしている。食事を運んだり、世話をしていると赤ん坊だった頃が思い出されて、こうして育ててきたんや〜と感慨しきり。

昨夜で六日連続の大学院のリサイタル審査の四日目が終わりました。

演奏を聴くと、楽譜が見たくなるもので、図書館書庫で楽譜を見るのも楽しみの一つ。現代音楽作品の楽譜を見て腰を抜かしそうになりました。

大学院生のエネルギーと情熱、こちらにエネルギーはないけれど、静かな情熱をじんわり保ちたい。

六夜連続の審査、連続の雨



学部の学生は学問に興味津々

昨日(2月20日)は音楽学研究室への進学を考える学生との初茶話会でした。
学生たちからの質問が相次ぎあっという間の2時間でした。
学生はかつて音楽学が学部にあったことを知りません。
なぜなくなってしまったのですか。こういう勉強が今の自分たちに必要だと思う、とうれしい発言😊
お役立ちデータベースを紹介すると大喜びで、こういうツールを教えてほしかったとも。
初年時教育で音楽学の基礎を盛り込む必要がありそうです。

昨日のカフェ
お品書き
広島のレモン風味🍋焼き菓子
チョコ
手作りサーターアンダギー
台湾茶

カフェ マダム
能登原由美
ウェイトレス
井口淳子

そしてその後は修士リサイタル第2夜へ。

実技の院生の中にはプロを目指していることがありありと伝わってくる人も。頼もしい限りです!

その場合、何が自分に足りないかということを真剣に考えると音楽学にぶつかるはずなんですよね。

その事に気づかないのと気づいているのとでは10年後が全く違ってくると確信します。

 

 

Brill から刊行された現代日本音楽の論集 拙論も所収

未来の日本の洋楽についても、写真は世界のしょうない音楽祭<越後獅子コンチェルト>

プロコフィエフの日記ほか

授業が終わった後の成績評価、シラバス、各種業務の合間に読んだ本の中でお勧めしたい本を二冊。

 

プロコフィエフ短編集

子ども向けの本かと思いきや、後半に収められた作曲家の日記が格別におもしろい!(小説、幻想小説?は全くおもしろくないです)
ロシア革命後の1918年、27歳のプロコフィエフシベリア鉄道で日本へ。アメリカへ渡るにもビザや船の問題で二ヶ月も足止め。
帝国劇場、横浜グランドホテル、京都、奈良と手持ちのルーブルが心細い中、日々の感情の振幅が率直に綴られている。
27歳ですでに自分が天才だと信じている!

どこに行っても金髪の若きロシア人はモテモテだった!

同時代の作曲家をこき下ろしたり、リサイタルで世話になった興行主、ストロークに悪態をついたり。
ワガママで自尊心が高くて、でもずっとお金の心配をしている。モダンな音楽を理解できない日本の聴衆や全く席が埋まらなかったリサイタル。
日記はおもしろいなあ。

 

プロコフィエフの日記は後半に所収

 

あのころ、天皇は神だった(原題 When the emperor was divine)ジュン・オオツカ

トパーズ収容所のことを知りたいと思い、探していたらありました!すばらしい文学作品。

戦争中、日系人が収容所に送られたことは知っていても、皆生きて帰られたからまあまだマシだ、なんて思っていたら全く違いました。

一つだけエピソードをあげるなら、収容所に出かける前にとても賢くてかわいい飼い犬シロをシャベルで一撃して庭に埋めるのです。置いていくとジャップ憎しでどんな目にあうかわからないから。

その後、ユタ州の砂漠の中の収容所で起きた出来事は辛すぎる。

一人、耳の遠い男性がフェンスの向こうにある花を摘もうとして射殺されます。これはいまもその男性の親族を探しているジャーナリスト、ナンシー・ウカイ氏がおられて、その方は実は‥、やめておきましょう。

日本語版はタイトルが酷すぎると思われませんか。このタイトルだと絶対、手を伸ばしません。

 

 

 

世界のしょうない音楽祭 しょうないがshow nightになった日

昨日、24分時間を超過して、「世界のしょうない音楽祭」終幕しました。
会場にはこの「世界のしょうない」を一人で考案し、実施し、育てた柿塚拓真さんがいらしていました。
彼から10年前、一本の電話がかかってきて、サラリと野村さんを中心にセンチュリーと音大で豊中市の文化事業をやりませんか、と言われたのですが、その時はまさかこんな風に10年続くとは思いもしませんでした。
毎年、野村作品はプロの技とアマチュアの素朴な音楽愛に絶妙なバランスを発揮してくれます。
今年は三味線、箏がなく、打楽器に回りましたが、本当に演奏が楽しい!
本番直前に赤ちゃんが〇〇チになりお母さんと一緒にオムツ替えをしたのも楽しいひとときでした。
第一部については渡邊未帆さんのFB投稿に詳しいですが、第一部でやろうとしたことはミュージッキングの理想形だったと思います。客席とステージの一体化という誰も置いてけぼりにしない渦中に巻き込むことができたのです!!
数十年ぶりに母校にやってきた教え子が「長く音楽から離れていたので最初のシャコンヌでもう涙が止まらなくなった」と。音楽ってすごい、やっぱり音楽とともに生きたいという思いでいっぱいです。
ありがとう、支えてくれた豊中市職員やセンチュリーや音大の仲間達、そして市民参加者や客席の皆さん、こんなにハッピーになれた世界のしょうないに大感謝です。
これからは庄内をshow night!と発音することを誓います(笑)

リハーサル

音大女性教員

センチュリーと音大女性組

音大チームと野村誠さん

打楽器チームは0歳あっちゃんから80代コウキさんまでのチーム