ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。連絡先はjiguchi@daion.ac.jp 近刊は「上海、対岸のヨーロッパ:租界と日本をむすぶ芸術家群像」「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

音楽学カフェと家族が戻ってきた週末

10月22日(木曜日)の17時から「音楽学カフェ」第1回を開催しました。

申し込みが多く、急遽、会場を変更し、熱く語ること100分の楽しい会でした。

リポートは研究室ブログに書きましたので、それを末尾に引用します。

そこに書かなかったこととして、うれしいことに卒業して?十年の教え子がお二人、参加してくださいました。

お一人は、現在、博論に取り組んでいるKさん、もうお一人は元助手のOさん。

20代の学生たちに負けず劣らずの好奇心と向学心。

発言も1990年代の阪神大震災時の音大のあれこれなど、現役学生にとって刺激になるものでした。

<音楽学カフェ>を開かれた空間にしたいと願っていますので、どんどん、卒業生や学外の人にも気軽にお越しいただきたいです。

次回は11月11日(水)、会場は音楽学資料室H212、17時開始です。ホストは院生の伊藤寛納さん(新作オペラ<unsere Farben 我らが色彩>の脚本と制作統括者)です。事前申し込みは不要です。

 

さて、音楽学カフェが終わり、週末がやってきて北海道に単身赴任している家人や、勤務先近くに下宿する息子が家に戻ってきました。

さて、誰が炊事をしたのか?

食事を作ったのは息子でした(拍手、パチパチ)!そして、タイミングよく実家の母から郷土料理の魚寿司が届きました。コハダの押し寿司で、これが超絶美味でした。

 

音楽学カフェ・リポート 転載

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音楽学カフェ、第一回、白熱の100分が無事に終了しました。

14名が集まり、会場を急遽、広いミュージックコミュニケーションの教室に変更させていただきました。

 

今回は音遊びとトーク「戦争と音楽」の二本立てでした。

カフェマダムは能登原由美、井口淳子

カフェのメニューは、紅茶とコーヒー、北海道のお菓子

 

まず、17時からウォーミングアップを兼ねて、ムックリ(口琴)と尺八スタート(初心者向けの拭き口)やペルーのケーナ他、簡単そうに見えて実は難しい楽器に挑戦。

なかなか音が出ない、ムックリがビンビンなったとあちこちで笑いが起こるいい感じ。

そこから自己紹介に進み、さまざまな専攻、卒業生、関学生など多彩な顔ぶれが揃いました。

 

本題の「戦争と音楽」は、ミュージックコミュニケーション専攻卒業生の太田朱音さん、金安理緒さんのお二人を中心に、2024年12月の「羊は安らかに草を食み 被爆ピアノとダンスが織りなす未来」公演を振り返ることから始まりました。公演の映像を紹介し、当時、何を考え、悩み、何が問題になったのか、2年後の今だから考えることなどなど、とても率直に語っていただきました。長い時間をかけてじっくり熟成させた公演だったことがよくわかりました。

出席者全員が何らかの発言をしましょう、ということで時間を超過してもまだまだ語り足りない感じで終了しました。

今回のカフェは先輩から後輩へのバトンのつなぎという意味がありました。

今、1年の専攻生が広島出身ということもあり、被爆ピアノに関心を持ち、音楽学の教員たちでトークイベントを行った兵庫県網干、片岡家の被爆ピアノをテーマに企画を構想しているのです。後輩にとっては先輩たちが作り上げた公演は一つの目標であるし、またそれとは違った独自の方向性を考える上でも昨夜のカフェは有意義な時間であったのではないでしょうか。

他専攻から参加した学生たちの中には、原爆や戦争などに全く関心を持ってこなかった、被爆ピアノの存在も知らなかったという人もおられましたが、逆にそういう学生にこそ参加してほしかったわけですし、率直な発言が聞けた貴重な機会でした。

率直な発言と言えば、広島出身の金安さんの「(地元での)8月6日の登校日はダルかった(行きたくなかった)」「祖父母の遺影写真の片隅に幼児の写真が貼り付けてあり、意味がわからなかったのが、大きくなって原爆で亡くなったことが理解できた」などなどが、印象に残っています。

昨今の世界情勢や日本国内の状況に危機感を抱きつつも、そのことを話すと友人の中で浮いてしまう、といった日常のモヤモヤ感も口にされました。

終了後もあちこちで話の輪ができ、去りがたい感じもよかった!

最後にミュージックコミュニケーション専攻が予定されている11月4日の「ボナペティ」と11月8日の「庄内音楽さんぽ」について小島先生よりご紹介がありました。

8日の庄内音楽さんぽには音楽学の小林先生がケチャのワークショップで参加されます。

 

次回は11月11日(水)、音楽学資料室H212(変更の可能性あり)にて院生の伊藤寛納さん(新作オペラ<unsere Farben 我らが色彩>の脚本担当)がホストをつとめる第2回を予定しています。乞う、ご期待!

 

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俳優、趙立新さん、大阪大学に再び!

人気絶頂期に一言、SNSで日本軍に関わるつぶやきを発信したことで、ありとあらゆる俳優としてのチャンスを奪われた趙立新さん。いわゆる炎上というもので俳優生命を危機にさらされた経験を持ち、今は京都、東京を拠点に海外での映画撮影などに参加されています。

 

その趙立新さんが20日、大阪大学のホール授業に登壇されました。

まず、冒頭の10分はシェークスピアなどの演劇を抜粋で演じ、その場を一瞬で劇場空間に変えてしまいました。

私たちはただただ呆然と彼の演技に見惚れ、忘我の状態でした。

その10分で聴衆のハートを掴んだ趙さんは残りの80分を、ご自身の半生を語る講演に移っていくのですが、この講演もまるで「一人芝居」のようでした。

前方スクリーンには彼が留学したソ連、シベリア鉄道、スウェーデン、ベルインマン監督、ベルリンの壁などのスライドが映し出され、ロシア語、スウェーデン語を習得し、越境を繰り返した半生を時にユーモラスに語り、笑いを誘います。

聴衆一人一人に自分のために語られていると思わせる眼の力、不意に聴衆に投げかけられる質問、それに答える聴衆、と双方向の講演はさすが、舞台人でした。

同時通訳もおられたのですが、おそらく聴衆の大半は中国語がわかる学生たちだったので、瞬時に笑いが起こったり、会場の一体感が素晴らしかった。

私は裏方としてビデオ撮影を仰せつかり、必死でカメラを回していました。

動きが激しいのでカメラがついていけず、冷や汗をかきました。

終わるともうグッタリ。懇親会も楽しみだったのですが、もはや体力は残量ゼロ。

趙さんとお話しする機会を逸してしまいました。

 

人気ドラマ「曹操」や映画など趙さんのファンは日本にも数多くおられます。

来年は授業枠ではなく、一般公開の講演会を計画中とのことです。

こういう民間の文化交流を途切れさせないことこそが、今、最も必要とされることだと痛感します。

 

 

 

 

作家、張天翼さんに会いに行く

小説を読むこと、それは他の方もそうかもしれませんが、気持ちが落ち込んで、藁をもすがる時に助けになってくれるからですよね。
 
張天翼さんの「雪の如く山の如く」も、ある日、とても落胆することがあり、その上、終日雨が降り続き、どうにもベッドから出られないような日に読み始めました。
女性の名前、リリー、漢字では様々な表記があり(麗とか立とか栗とかetc)、六人のリリーの物語が綴られています。中国の生活や文化を知らずとも、共感できる現代女性の日常の中にひそむ痛みや哀しみ。受けた傷は癒えることはなく、ただそのまま抱えるしかないけれども生きていく女性たち。
昨日は神戸大学に著者が来校されるということで、出かけてきました。
教室に入ると張さんがサインをしておられました。そばにチョコンと11歳の娘さん。張さんは、「まあ、中国語がお上手ですね(そう言われるうちは上手ではない!)、お洋服素敵ですね」などと気さくに話され、サラサラとサインを。そばに座っている娘さんを見て、思わず「日本語の本ですが、娘がイラストを描きました」と拙著「送別の餃子」をお渡ししてしまいました。お荷物になって申し訳なかったです。
 
4時間の長丁場で、林麗婷さんら何人もの報告者がおられ、質問も多かったのですが、作家は疲れも見せず、軽やかに丁寧に率直に答えておられました。
 
近刊の集英社「中国現代文学ギャラリー」全5巻は未だ翻訳出版されていない作品だけで構成されるそうですが、張さんの「珠玉の提言」も濱田麻矢さんの翻訳で所収、楽しみです。
 
会場にて

旭川のピアノ、そして白老<ポロトのビッグエカシ>

先週の木曜日、夜の便で新千歳空港へ。

北海道に着くと、いつもとても安心感があります。例えば、ドアを押して後ろの人を待つ人が多いこと、お店やホテルのスタッフの笑顔や丁寧さetc.

その夜は千歳駅近くのホテルに一泊し、翌朝、特急列車カムイ号に乗り、一路、北西へ。

大雪山系を車窓から眺めながらの一時間半で旭川駅に到着しました。

目的地は北鎮記念館、旧陸軍第七師団ゆかりの記念館です。自衛隊駐屯地の中にある軍事関連の記念館ですが、ここに一台のピアノが展示されているのです。五木寛之の小説「ステッセルのピアノ」にも登場する楽器です。

そのピアノを見ることが今回の旅の目的でした。

日露戦争に勝った日本軍によりロシアの軍艦に搭載されていたピアノが持ち帰られたというのが「通説」ですが、それを裏付ける文字資料は全くないのです。

資料がないということも、今回、確認できた貴重な情報でした。

ピアノは上海モートリー社製造ですが、なんというか、とても特異なピアノです。

背面にはゴツい木材が使われ、前板を外していただくと中も実に素朴な木材の使い方。

専門家にご意見を求めているところですが、寒冷地、軍艦といった環境を考えて製造されたことは間違いなさそうです。

館長さんに写真撮影を許可していただき、またこのピアノに関する様々な貴重なお話をうかがうことができました。長年鳴らしたことがないという鍵盤を押さえると予想以上にしっかりした音がでました。

次に向かったのが市の博物館、ところが時間が足りなくなり、慌てて、博物館からタクシーで中央図書館に向かいました。

そこでは私のためにきちんとピアノ関連の資料が整えてあり、司書さんから詳しいお話をうかがうことができました。専門家ならではの資料についての見解がとても参考になりました。

このピアノについては然るべき媒体に報告を書かなければ、と思っています。

 

夜遅く、白老に到着し、翌日は特別展示「コソンテとルウンペ」をギャラリートーク付きで見ることができました。江戸時代の豪華絢爛な小袖、それをうまくリユースして民族衣装に作り変えたアイヌの人たち。見事な細工や色合わせのセンスに驚嘆しました。アイヌ文化の自由な発想と手仕事の精度、和とアイヌの文化融合が衣装に結実していたのですね。

翌日11日は快晴の中、OKIさん、監督・音楽の「ポロトのビッグエカシ」の世界初演に立ち会うことができました。

30分の短編作品ですが、アイヌの民間博物館にかつて存在した大仏のような巨大なエカシ像、アイヌの長老像をめぐる実話に神話や熊送りやカミの世界まで濃密に編み込まれた力作でした。
影絵(川村亘平齋氏)の効果は絶大で、生身の人間では出せない余韻が残りました。
博物館民営時代に、この巨大モニュメントとクマと犬が印象に残っていましたが、国立機関になり像は壊されました。
この映画は皆の心に残るあのビッグエカシへの感謝状のような作品ではないでしょうか。
それにしても、トンコリで「アイヌ音楽はカッコいい!」革命を起こしただけでなく、今また次の創作ジャンルに進むOKIさん。
拙共編著「ファンキー中国」の中のエッセイと自作の挿絵もすばらしいものでした。
 
旭川 北鎮記念館の展示ピアノ

 

特別展示のギャラリートーク
 
世界初演後、OKIさんと

 

秋の夜長の<音楽学カフェ>、10月22日オープンします

秋の夜長の<音楽学カフェ>、10月22日(木)17時より開催いたします。
場所は大阪音楽大学・音楽学資料室(H212)
12名に達しますと締め切りますので、お早めにお申し込みください(フライヤーQRコード)。
 
MENU
音遊び(民族楽器)と卒業生を囲むトーク
お茶とお菓子🤖
カフェマダム: 能登原由美 井口淳子
 
2024年に豊中で上演され話題を呼んだ「羊は安らかに草をはみ」(末尾に新聞記事あり)。その企画者のお二人、金安理緒さんと太田朱音さん(ミュージックコミュニケーション専攻卒業生)をお招きし、戦争と音楽について、お話しする会です。
昨今の世界と戦争をめぐる状況に心がざわつく人は多いはず。
デモに出かけなくても心の中で、なぜ?どうして?という疑問を抱えているのではないでしょうか。
81年前に原子爆弾が投下され被爆したピアノをめぐり多くの著述や講演を行ってきた能登原由美教員と、近年、アジアのピアノ史に関心をもち歴史的ピアノ(戦争と関わりが深い)をもとめて上海や国内各地を調べ始めた井口淳子教員がお茶とお菓子を準備してお待ちしています!
 

 

能登原由美さんが執筆された中国新聞の記事

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寄稿 大阪で被爆ピアノコンサート 能登原由美 日常の尊さ・もろさ 両面を映す 音楽とダンス 大学生が企画

 被爆ピアノとグランド・ピアノが舞台に並ぶ。いずれも元は同じ「楽器」だが、前者は原爆を受けたためにそう呼ばれ、意味付けられたもの。後者は「偶然被爆していない日常」。そう語るのは、大阪音楽大ミュージックコミュニケーション専攻の学生たち。大阪の豊中市立文化芸術センターで11日に行われた公演からは、80年前の戦争と向き合う現代の若者の思いが伝わってきた。

 開演前、企画した学生から話を聞いた。きっかけは、広島出身の学生が投げかけた一言。自らが受けてきた平和学習が他県ではなされていない。原爆についての認識に大きなギャップがあるのではないか。そこから「平和」をテーマとすることに。とはいえ、運営メンバーは1人を除いて全員関西の出身。被爆地で育ったわけでもなく、戦争について何も知らないわれわれがやっても良いのか。疑問がくすぶり続けた。

 まずは自分たちが学ぶことから始めた。原爆のことだけではない。大学のある豊中市の空襲被害については、資料館に行き語り部から話を聞いた。さらに同市が沖縄市と「兄弟都市提携」を結んでいたこと、今回出演したピアニストの新崎洋実さんが沖縄出身だったこともあり、沖縄戦についても向き合った。

 だが、コンサートでは「戦争」や「平和」などの言葉をできる限りそぎ落とした。特定の意識に導くのではなく、自由に受け取ってほしいためだ。古典から現代、沖縄民謡に坂本龍一の作品など、ピアニストと一緒に選んだ演目は17曲になったが、そこにも「反戦」などを直接的に暗示させるものは入れなかった。逆にダンスという身体表現を入れることで、受け手の想像力を駆り立てる内容とした。

 公演のタイトルは「羊は安らかに草を食み」。J・S・バッハの楽曲に由来するものだが、8カ月にわたりこの主題に対峙(たいじ)してきた上での答えは、まさにここにあった。つまり、草を食(は)むという日々の営み。これが平和だということ。ただし、その日常はもろく危うい。2台のピアノを対置させたのは、それを示すためでもあった。過去と現在、あるいは未来と受けとめてもよいのだという。

 音質の全く異なる2台のピアノが醸し出す音に、ダンサーの北村成美さんが全身で反応する。振り付けは彼女に委ねたというが、若者たちの思いはしっかりと伝わったのだろう。筆者には、人間や動物も含めたあらゆる生命の根源を表すように思えた。

 彼らにとって戦争は、祖父母の世代、あるいはそれ以前に起きたもの。その過酷な経験について、「知り切れないということを改めて知った」と語る。けれども日常の尊さともろさを映し出したこの舞台を見る限り、それぞれの感性でしっかりと受け止めていることは確かだと感じる。ぜひ再演へとつなげてほしい。(大阪音楽大特任准教授=広島市出身)

(2024年12月28日朝刊掲載)

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安田登さん、本当の意味での自由人

安田登さん

本当の意味での自由人。

安田登さんを初めて認識したのはいつのことだったか。

「送別の餃子」を京都の小さな出版社から刊行した際、確か、初刷は2000部以下だったと記憶しているけれども、なかなか売れないだろうなあと灯光舎の社主、面高悠さんと話していた。その当時もすでに日中関係は冷え込み、嫌中本が世の中に溢れていた。

発売後、しばらくして、まず安田登さんがTwitterでこの本を周囲の仲間が読んでいる、書評会を開きたいほどだといった意味のことをつぶやいてくださった。

そこから東方書店に買いに行ってくださる方が増えていったようで、じわじわと広がっていき、しばらくすると増刷が決まった。その際も、安田さんは残部希少という社主のつぶやきに、それは残念過ぎるといったコメントを出してくださった。

そうそう、その前から玉川奈々福さんたちと中国河南省の奥にある農村の語り物大規模フェス(馬街十三書会)に出かけられたことを知っていたので、能役者にして中国古典や現代中国に精通している方だということはわかっていた。

その後、安田さんとともに現代能を上演されている奥津健太郎さんとも知り合い、多田道雄の<望恨歌>を国立能楽堂で拝見し、そのレビューも書かせていただいた。

 

mercuredesarts.com

とにかく、多忙を極める安田さんなので、一度お目にかかりたいものだと思っていたけれどもその機会は舞台以外ではなかなか訪れなかった。

ところが、私が住んでいる街にある大学に非常勤で週に一度、東京から来られていることを知り、駅前で夕食をご一緒することになった。

その日は緊張のあまり、約束の時間まで落ち着かなかった。

駅前の信号で待っていると、安田さんが颯爽とあらわれた。いつも能の装束や1「00分de名著」の和服姿でしか姿を拝見していないので、とてもカッコいい黒のコートを羽織った安田さんに意表を突かれた。

でも、会うなり「歯が抜けてしまって、噛めないので柔らかい食べ物がいい」とおっしゃった。食べることはそっちのけで、とにかく、縦横無尽にお話しされ、後半は近未来のメタバースやドミニク・チェン氏の話題、つまり未来の話ばかりだった。

別れ際に、「今度は私がご馳走します」とおっしゃったが、その非常勤も退かれ、そういう機会は訪れなかった。

けれども、安田さんが京都や大阪で公演される際には駆けつける、案内をいただかなくとも、とにかく、安田さんをその公演を目撃したいという気持ちがずっと続いている。

最近では、永観堂での野外創作劇、今年の夏には大阪中之島での公演「黄泉平坂 排斥と遊戯」(ヤナギミワ作)を拝見した。そういう時も、特に楽屋を訪ねたりご挨拶することはない。安田さんはとにかく人との付き合い方も淡白というか爽やかにクールなのだ。

 

先週、肝臓がんのステージ4を公表された安田さん。

以前から体調不良を心配していたが、とうとう診断が下った。

ところが、その診断結果を聞いて「ワクワクする」と書かれていた。未体験ゾーンに入っていく自分にワクワクすると。

医師は本当にワクワクして微笑んでいる患者を見て怪訝な表情をされたそう。

普通なら余命宣告を受けて嬉しそうにする人はいないので、安田さんはさすがだなと思う。

診断結果を受けて安田さんは高額医療を負担できる蓄財がないので、とご友人たちが喜捨を募られた。

そしてわずか3日で400人以上から一千万円以上の喜捨が集まった。

私はこの数字に驚かない。

なぜなら、安田さんの公演、講演、ご著書から多くを学び、多くを得た人が喜捨をされたのはまさに喜んで捨てる、喜んでお礼をされたからだと思うからだ。

私も喜んでお礼をさせていただいた。

できることなら治療期間が伸びたので再度の喜捨を、ということになってほしい。何度でも喜捨したい。

 

社会が安田さんを必要としている。

どんな方向に風が吹いても、安田さんは風見鶏とは真逆の行動をとる。

歯に衣を着せぬ発言に自分の思いを代弁していただいたと感じている人も多いだろう。

 

1980年代の中国貧乏旅行は安田さんに「中国とは」という揺るぎない認識を与えた。

古典に通暁し、生きた中国を知る、双方を兼ね備えた人はなかなかいない。

 

私にとって灯台のような存在、暴風雨のときもすっくと立ち続ける灯台なのだ、安田さんは。

 

楽しきかな、西安料理と音楽談義の夜

9月11日、この日は東京から集中講義で大阪に来られた作曲家の夏田昌和さん、同僚の渡邊未帆さん、フランク・デジレさん、ヴィオラ奏者の森亜紀子さんとディープな西安料理のテーブルを囲みました。
なぜこんな組み合わせかと言いますと、そもそもは森さんから夏田さんの作品演奏会に誘われ、それ以後、関西での演奏会のたびにお目にかかるようになった。そして渡邊さんは芸大の楽理専攻時代に夏田さんの授業を受けていた、というつながりです。また私たち関西組はフランクも含めて世界のしょうない音楽祭の仲間という共通項があります。
お店は新大阪駅と東淀川駅の真ん中にある「秦小天」という知る人ぞ知る料理店です。
ここに来ると懐かしい西安の本場の味が楽しめるのと、とにかくリーズナブルです。
夏限定の涼皮(リャンピー:小麦粉でできたツルツルした前菜)が大好物なので、夏の間に行けてよかった!注文してから麺を打つので店内には麺うちのビャンビャンという音がずっと聞こえています。
そしてこのメンバーですから、話題はもちろん、音楽。渡邊さんがホケトゥス(中世の作曲技法)を夏田さんの授業で初めて知った、今、ハイチのリズムがホケトゥスだと感じている、と口火を切り、
アフリカ、ハイチ、創作や演奏の話で盛り上がったところで、にわかに双子について、驚くべき話がフランクから披露されました。
なんとハイチでは双子は「マラッサ Marassa」という神様なのです。そして双子の母もとても崇められる存在だそうです。マラッサの画像を検索するとかわいい双子やちょっと怖い双子の絵画がたくさん出てきます。ブードゥーの儀礼では供物を捧げて、皆がこうべを垂れてお祈りしています。日本では双子信仰など聞いたことがないですし、古い世代からあまりよくない言い回しをされることもあります。
3時間くらい喋り続けて、5名でメニューをほぼコンプリートしてビールと紹興酒をいただいて、まるでイタリアのハンバーガーくらいの値段とは!
いつか、ハイチに双子を連れていけるといいなあ。