ラヴェルに乾杯!柿塚拓真さんの10年
昨日は神戸文化ホールの「ラヴェルに乾杯!」に出かけました。神戸室内管弦楽団の定期演奏会であり、同弦楽団のマネージャー、柿塚拓真さんの神戸における仕事納めとなる公演。
ラヴェルがタイトルになっている通り、フランスから指揮者、Pierre Bleuseを呼び、ラヴェルのピアノ協奏曲のソリストは地元出身の俊英、三浦謙司です(第二楽章、名演に涙腺崩壊)。
ところがプログラムにはラヴェル→ルー・ハリソン→ラヴェルと並んでいて、なぜ?と戸惑うお客様も多かったと思います。
ルー・ハリソンではお茶碗や鍋?まで打楽器として登場するのですから。
実はラヴェルの中にあるオリエンタリズムに呼応するルー・ハリソンの中の民族的要素、そして終曲のアイヴズの交響曲第3番の初演指揮者がルー・ハリソンだったのです。(アイヴズの作品中の賛美歌の引用については開幕前に神戸混声合唱団による賛美歌の演奏まで!)
一見、バラバラに見えるプログラムが実は巧妙に組み立てられていたのです。
楽器転換に登壇した柿塚さんが丁寧にその意図を説明されました。
大曲と意表をつく現代曲の4曲が終わっても、客席はじっと動かず、演奏の余韻がホールに残っていたのも神戸らしいと感じました。大阪だったら拍手の最中にバタバタ出て行くお客様多いですから。
彼とは10年前、2014年の冬に出会い、ちょっとそのことを書いておこうと思います。
2014年12月、私は勤務校の中で改革の嵐の中にいました。音楽学専攻が消滅し、さて、どうしようと自分の身の振り方に悩んでいました。辞めるべきか残るべきか、その時、一本の電話がかかってきたのです。「日本センチュリー交響楽団の柿塚です。豊中市の新たなプロジェクトにご協力いただけませんか?」というものでした。音大とセンチュリーが協力する、とてもいいじゃないか!と思ったのは世事に疎い私の早合点で、実は音大とセンチュリーはともに豊中市に本拠を置くものの、厳然とした線引きがあり、お互い協力関係など何もなかったのです。
「世界のしょうない音楽ワークショップ」と名付けられたワークショップに私と音楽学、邦楽の先生方が協力するようになり、年々このワークショップと音楽祭は規模も内容も充実していきました。そのことが、私が大学に残るいくつかの理由の一つになるほど、私はこのワークショップにのめり込んでいきました。作曲家、野村誠さんの才能や「誰をも排除しない音楽解放区」スピリットに魅せられ、自分を必要としてくれる場所があることが素直にうれしかったのです。
しかし、柿塚さんのご苦労は大変なものでした。豊中市との折衝や各組織の調整など、彼がいなければ成り立たない難事業でした。
センチュリーを去ることが決まったある土砂降りの日、私たち二人は豊中市役所を訪れました。そこでは事業に対する厳しい意見が述べられ、終わったときは心の中まで土砂降りでした。柿塚さんは私以上に悔しい思いをされたはずですが、そういった一つ一つの経験を糧に、どんどん成長されていったのだと思います。
昨日のプログラムはご自身のこの10年の集大成とおっしゃっていました。
彼の今後の10年は九州交響楽団とともにあります。
東京や大阪から福岡に九響を聴きに出かける、そんな名プロデュースが期待できそうです。