ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

これってコミュニティ・アート!

大阪に戻って、実家のお盆のあれこれを思い出している。

まず、実家は敬虔な浄土宗檀家であり、母は高齢なのにいまだに寺の世話人を引き受けている。

なので、お盆の間の細々したおつとめも一切手抜きなしである。

やることは山ほどあって、箇条書きにすると、

1 船を作る  元々は木でできた立派な船があったが、今は簡易的なものを毎年作っている。ダンボールに竹ひご、墨をすり、半紙に筆でお経を大書するのは私の分担になっている。

2 朝と夕に決まったお膳を供える。メニューが決まっていて、初日、二日目、三日目と朱塗りのお膳にきれいに盛り付ける。もちろん全て精進料理、胡麻はすり鉢ですっている。

3 毎夕のお経、とにかく長い。40分ほどかかるので、私は自ら導師という役を引き受けている。スピードを上げることで時間短縮を図っているのだが、終わってから叱られる。

最終日、日没後に、各家から鉦を打ちながら、船が出てくる。それを近くの川に運び、流すのだが、誰もこの地域では「精霊流し」という名称を口にしない、船を流すと言っている。とにかく暗闇からロウソクの火が揺らぐ提灯をつけた船が出てきて川に集まるので、幻想的な風景だ。鉦の音も遠近感があり、チンチンからカンカンまで音の重なりが美しい。

船を作る=アート お経を家族であげる=ミュージック 鉦の音=サウンドアート 寺にお光をもらいに行き、そこでおしゃべりが始まる=コミュニティ

そして、大阪に戻る日は土砂降りの雨だったので、ご近所の主婦がクルマで送ってくださった=コミュニティ力 持ち帰った野菜や果物は全て近所からの頂き物=コミュニティ力

お盆の3日間で、濃厚なコミュニティとアートに浸った。

今、私がコーディネータを引き受けているコミュニティ・ミュージックとは田舎のコミュニティ・アートと全く別物であり、もちろんとても意義がある活動だと信じているが、田舎での自然なコミュニティとそこでの普通の営みがもつ輝きや重みを時々、思い出す必要があると思う。