ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

スウェーデンと日本

瀬戸内海の海辺の小さな村に生まれたので、幼稚園から中学まで全く同じ顔ぶれでした。

ただ、小学6年の時に都会に転校し、中1の2学期に戻ってきた時、完全に浮き上がってしまい、軽く仲間外れになったのです。多分、それは気のせいで、周囲に悪気はなかったのでしょうが、学校が嫌で仕方がなかったのです。

そんな時に私に近づいてきた一人の女の子がいました。

その子もどちらかというとクラスに馴染めない雰囲気で、お互い、浮いている存在だったのです。

卒業後は全く交流もなかったのが、FBがきっかけで彼女が一時帰国する時に再会することになりました。それが数年前のことです。

昨日は二度目の再会で、スウェーデンの暮らしや家族のこと、日本を外から見るとどう見えるのか、話題は尽きず、気づけば3時間!

不思議なもので、子ども時代の友人は何十年も会っていなくてもどこか安心感があり、気取らず本音で話ができます。

日本について「80年代の頃と全く変わっていない、いい意味でも悪い意味でも」という彼女の言葉はまさにその通り。賃金も物価もあまり変わっていないし、女性の社会的地位も。

大学卒業後、北欧に渡り、シングルマザーとして国の手厚い福祉政策で大学に再び通い、二人のお子さんを育て、今、バリバリ働きながら、最大限、人生を楽しんでいる、そんな生き方、この国では想像もできません。

彼女のような外国人女性が出産した時に、赤ちゃんにスウェーデン語を教えるプログラムがあり、そのサポートを受けるうちに自分のスウェーデン語も上達した、なんて話を聞くと、日本にやってきた外国人の出産、育児とは比較にもならないですよね。

個人の努力でなんとかする、それも限界があります。

もちろん北欧が全てよいわけではなく、日本が全て劣っているわけではない、でも、この40年ほどの停滞は皆が感じています。

 

なぜか彼女がゲストなのにご馳走になりました。

ストローが紙ではないことに驚く友人(左側)