ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

『わが上海 1942〜1946』、著者と対面できました!

なんども読み返した大好きな作品の著者がロンドンから来日されると聞き、うわぁ!お会いしたい!と思わず口にしたことからあれよあれよというまに、出会いの時が。

場所はとあるフレンチビストロ、「わが上海」の著者、伊藤恵子さんと、小説中の幼いサチ、そしてその妹、まさこさん(米国在住)が一堂に会されました。

テーブルの隅でおとなしくしているつもりでしたが、著者を目の前にするとどうしても尋ねたい質問が次々に思い浮かびます。

特に、この小説は著者の母親による日記体で書かれており、元となる日記があるように感じるのですが、そのようなものは一切、存在せず、緻密な歴史学的資料調査によって、細部を埋めていかれたという点が一番、興味を引かれるところでした。伊藤恵子さんは例えば、あるクエーカー教徒、イルマを描くために、上海からロンドンや米国の本部に送られた報告書を読み込み、イルマの難民支援をまるで見てきたかのように描かれました。ユダヤ人難民避難地区の悲惨さやイルマたちの奮闘、小説というスタイルだからこそ、胸に迫ります。

クエーカー教徒は戦争が起きた時に敵や味方を問わず、苦しむ人を助ける、というのが信条で、主人公の姉夫婦はその普遍的なヒューマニズムと信仰に目覚めて、結局、敗戦後の引き揚げ船に乗らなかったのです。しかも社会主義国になった中国に1952年まで踏みとどまったという、驚きの事実。その姉夫婦の娘さん二人ははっきりと社会主義中国を覚えておられます。

三人の従姉妹たちは日本語よりも英語が話しやすいのに、私たちのために日本語で懸命に当時の出来事や両親たちについて語ってくださいました。そこには親たちに対する限りない敬愛の気持ちが溢れていて、なんという一族だろう、とため息が出ました。

70代になってますます輝く、そのような女性たち三人をまぶしく感じる、稀有な体験でした。