ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

1976年、北京

ある新聞記事がきっかけで、ほぼ半世紀ぶりに古い友人と連絡をとりました。

というのも、あるエッセイを執筆していて気になることがあり、インターネットで検索をかけたところ、すぐに当人の記事が出てきたのです。

昔々、私が高校生の頃、我が家に日系人三世のナンシー・ウカイさんが一週間ほど滞在されたことがありました。その後、彼女はジャーナリストとして米国で活動し、今春、来日されたことを記事から知りました。

彼女は1976年にカリフォルニア大学バークレー校の訪中団の一員として北京にやってきたのです。その時に同じホテルに商社マンとして駐在していた私の父と知り合い、すぐに親しくなったそうです。

翌年には我が家で家族とともにお正月を過ごしました。

その彼女が取材を続けている事件とは、1943年、トパーズ日系人収容所でジェームス・ワカサが射殺された事件です。

昨日の朝日新聞にも詳しいカラー記事が掲載されています。

彼女と何度か往復メールを交わすうちに、事件のことや初めて出会った頃の父の思い出をいろいろと詳しく知ることができました。

エッセイは日本語ですが、彼女に送ったところ、Deepleで読み、「美しい、短編小説のよう」とすぐに返事が届きました。

半世紀を経て私たちが再びつながったことを「ジェームスが結びつけてくれた」とも。

朝日新聞デジタルの記事はこちらです。6月7日夕刊