2022年に執筆した論文の中で最長となった論文、ようやく脱稿し、ゲラを待つばかりとなりました。総文字数2万字余り。削りに削った結果ですが、かなり枚数オーバーになってしまいました。
フランス租界で300本以上の音楽評論を執筆したシャルル・グロボワについて、その「東西の架け橋」たらんと奮闘した1919年から1945年までの活動を明らかにしたものです。
新聞記事、外交文書を駆使した(翻訳については優秀な若手たちに助けられました)ことと、これまで以上にグロボワへの思い入れが詰まった論文になったかと思います。
執筆の最中にグロボワの遺品がフランスの生地ブルジュで発見されたこともあり、論文の冒頭は遺品の中に含まれていた貴重な黄自(中国近代の代表的作曲家)の作品から始まります。
この作品、フランス租界のラグルネ小学校の校歌なのですが、その歌詞こそ、グロボワの目指した東西文化の理想的なありようが綴られています。
このラグルネ小学校はなんと100年近くたった今でも現役で使用されています。
目下、なかなか上海には行けそうもありませんが、次回訪問時にはこのラグルネ小学校やグロボワ故居、グロボワのかつてのオフィスなどを訪問したいものです。
この論集は来年二月刊行予定です。
ラグルネ小学校の創設記事