ようこそ井口淳子研究室へ(NEW)

民族音楽学、音楽学研究者。近刊は「送別の餃子:中国都市と農村肖像画」jiguchi@daion.ac.jp

お正月、目から火花が出た

お正月に目から火花が出ました。
どういうことかと言いますと、歩いて3分のところの金刀比羅神社に参拝しようと石段を登りました。
なぜか拝殿の前に新しい木枠のようなものが天井から下がっていたのですが、それをくぐって参拝、振り向きざまにおでこにその木枠が直撃、目から火花が飛び、大きなタンコブができました。
怒り心頭の私が母に「すぐにあの木枠を撤去するように管理人に連絡して。大怪我をする人が出るかもしれない」と言うと、母は「それはできない。カドが立つ。村で暮らしいくためには神社の管理をしている協議委員さんに逆らったり意見することはできない」と。
けれども、一応、母と娘は木枠を見に出かけていきました。
母は身長が低いので「木枠は問題ない」。娘は「背が高くてお母さんみたいにボーッとしている人なら必ず頭をぶつけそう」と。
 そこから娘との口論が始まり、彼女の決め文句は「村の中で波風立てず、暮らしている独居暮らしのおばあちゃんの立場にもなってよ」
私「そうやっていてはムラはいつまでたってもムラのまま、ずる賢い村人め」
娘「お母さんも村の生き方を少しは学んだらどう、生きる狡知ってやつを」
4日にあっけなく神社から木枠は取り除かれていました。三ヶ日だけでよかった!
近所の工場にボルネオ島からイバン族とダヤク族の二人のお兄さん(全身、見事なタトゥー)が出稼ぎに来ていることや、東南アジア系の若者が増えていること、彼らは村のお年寄りに好評で、「明るくていつも挨拶をしてくれる」と母もご満悦です。スーパーで「お母さん、コンニチワ」と声をかけられるそう。
静かに田舎の町で進む多民族共生!
実家で発掘した1973年北京十三陵の写真。中央の青い人民服を着ているのが父。当時は背広は目立つのであえて人民服を着て目立たないようにして北京で駐在していたとか。

1973年明の十三陵 北京滞在中の父(中央)